© 2018  Masashi Ishikawa

  • Masashi Ishikawa

らくがんができるまで

最終更新: 2019年12月16日

長年温め続けていた落雁制作計画が、先月やっとこさ形になりました。

11月に行った2人展「重力と引力と」展ですが、自分の中での主役はこの落雁でした。

今回の落雁制作は、夢が一つかなった!くらいの出来事だったので、完成までの話を書くことにしました。

自分の中に好きなものを持っていると何かと何かが繋がることがありますが、そんな話です。

久しぶりに長文を書いたので拙稿ですが、ご興味があればお読みください。

高校に進学した頃、どこかで見かけた美しい練り切りがきっかけで和菓子に惹かれていったと記憶しています。卒業する頃には、携帯の待受画面は季節毎の練り切りの写真になっていました。

ほんの一時でしたが、職人になるという道を考えたこともありました。

しかし当時の自分には一生を和菓子に捧げる覚悟が無く、数ある選択肢の中で悩んだ末にデザインを学ぶと決めて受験に臨みました。実技対策をしていく中、今度は工芸家の仕事に魅了され「アートディレクターになって地場産業をテーマにした展覧会をいっぱい手掛ける」と意気込みました。今になって思えば当時からそういった企画は多々ありましたが…。

結局は自分の手で色々な素材を感じたい、という気持ちから工芸科を受験して大学へ進学。

入学したての頃は漆芸を学んで漆器を作って和菓子と関わろう…と考えていたはずなのに、気付けば鋳金という全く異なる分野を専攻していました。

その後は鯛焼き屋で少々バイトし、鋳金専攻としての卒業制作で一丁焼き鯛焼きのような焼き型を制作し、その場で焼いた菓子を食べてもらうという作品を発表しました。

このパフォーマンスをしていた時に出会ったのが、和菓子職人の長沼輪多さんでした。

様々な分野に対して柔軟な試みをしている彼との出会いが無ければ、今回の落雁は完成しなかったと思います。歳が近い事もあり、この頃から一緒に何かやりたいという話をしていました。

しかし、しばらくは何も形に出来ないまま時間が過ぎていきました。

2年の月日が経ち、大学院も修了の年となりました。

この大学で最後に自分がやりたいことはなんだろう、と振り返ったときに浮かんできたのは

高校時代のドローイングとも呼べない落書きたちでした。

作る動機こそ他にあれど、この頃の何と呼べばいいのか分からない、ただ手を動かしたい欲求のようなものをここで出しきらないと、後悔する気がしました。

たくさん絵を描いて、それらを金属のレリーフにおこしていきました。当初は千体仏に倣って千体の立体物を作る予定でした。しかし鋳物でレリーフ(半立体)と立体物を作る時間と労力の差はとてつもなく大きいものです。結果として落書きのように次から次へと手を動かせる形へとなりました。不格好でも洗練させずに、熱に任せて進みました。

そうして約1年かけて出来上がったのが、下の作品です。この作品について思うことも、いつの日か書くつもりです。そして千体ずらっと並べた作品も、いつか作る、つもりです。


落雁の話に戻ります。







このとき生まれたかたちの一部が、落雁へと姿を変えていきました。

落雁のための木型を作る事は、勢いに任せて作品を作ることとはかけ離れていました。

食べやすいかたち、つまんで楽しむかたち、欠けないかたち……と、そこはデザインの領域でした。じんわりとかたちを変えながら食べ物に変化していくドローイングと、手の動き。

その様を追いかけたいと思い、なんとか最後まで自分で作れないかと色々試してみることに。

スタートは自分で型を彫ってみるところからでしたが、想像をはるかに超える下手さに断念。

その後は紙粘土で模型を作り、描いた絵からモデリングをし、3Dプリンターで出力してサイズ感や形状を確認、CADで木型を設計、3D切削機で削り出し、という工程に至りました。

機械を使いこそすれ、型を作るところまでは自分の手を離したくないという気持ちでした。

出来上がった木型を使って実際に落雁を打っていただくと、

うまく抜けるものと壊れてしまうものの違いが分かって来ました。

反省を踏まえて再度デザインを検討し直し、ようやく二種類の菓子木型が完成しました。

ここから先は和菓子職人、長沼さんの舞台です。

落雁の材料となる和三盆やもち粉などの配分を検討したり、

不定形であるこの木型での成形のクセを掴んでいただいたり。

そうして、ようやくひとつの和菓子という作品になりました。

十代の頃に憧れたものや当時の熱、鯛焼きを焼いたり絵を描いたり、一つ一つのものがすーっと繋がっていって、目の前にかたちとして現れたような。そんな感覚でした。

いつか和菓子に関われたらいいな、くらいに思っていた昔の自分が見たらとてつもなく羨ましい未来だな、と感慨に耽りつつ、次はどうしようかとまた考える日々です。